Martino Pietropoli

□ イタリア現地調査
□ イタリア現地市場調査
□ 店舗コンセプト構築協力
□ 店舗設計  
□ 工事監理


Massimo Carmassi教授のもとフェラーラで建築の学位を取得し、チェゼーナの建築学部の助手を務めた。建築設計を主業とする一方、写真家かつコミュニケーターでもあり、SIE-Ca' Foscari のイタリア デザイン史とボローニャ大学のAdvanced Design/Designの授業を担当している。また、L'Indice Total、The Fluxus、Runloversなどのウェブサイトの創設者であり、それらの編集やコンテンツ製作を行っている。2000年初頭より、父Guido Pietropoliが主宰するStudio Pietropoli(1980年創設)に参画。

Guido Pietropoli は、ヴェネツィア建築大学(Iuav)をCarlo Scarpa教授のもと卒業後、建築家のJullian de la Fuenteと共に、ヴェネツィアの新しい病院プロジェクトのため、ル・コルビュジエのスタジオで働いた。その後 1972 年に建築家としての活動を開始、Carlo Scarpa教授と共同でMemoriale BrionとOttolenghi邸などのプロジェクトを行った。1972 年から 1976 年の間、ヴェネツィア建築大学(Iuav)でCarlo Scarpa教授の建築計画コースの教育活動にて助教を務め、1977 年から 1979 年まで、ヴィチェンツァの美術工芸学校でインダストリアル デザイン分野の教授を務めた。Carlo Scarpa自身が培ってきた日本に対する愛着は、Studio Pietropoliにも引き継がれている。1980年代の日本人建築家伊藤嘉康との協業を皮切りに、日本の建材メーカーYKKの製品(ドア、手摺、レバーハンドルなど)の設計を平本英行との協業のもと行った。

Studio Pietropoliは、住宅や工場の新築、Rovigoにある元製糖工場(歴史的建造物)のコンベンション センターと大学への改修など、様々なプロジェクトに取り組んでいる。また、Carlo Scarpaの後継第一人者として、世界中の展覧会に招聘され、関連書籍の著作/寄稿を多数行っており、Carlo Scarpaの代表作であるMemoriale Brionの保全修復を担当した。

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